「ヒカルの碁」って韓国?とトラブルして打ち切りになったって聞いたけど、本当なの?そのせいでひどい最終回だったとか・・・
このような疑問が多いので、本記事では「ヒカルの碁」の最終回について徹底的に調査した内容をお届けします。
「ヒカルの碁」は打ち切りだったのか。なぜひどいと言われているのか。真実を知りたい方は必見です。
「ヒカルの碁」の作品紹介
作品名 | ヒカルの碁 |
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作者 | ほったゆみ 小畑健 |
巻数 | 全23巻(JC) 全20巻(完全版) 全12巻(文庫) |
連載雑誌 | 週刊少年ジャンプ |
連載期間 | 1999年2・3合併号 – 2003年33号 |
~作品紹介~
ある日小6のヒカルは蔵で古い碁盤を見つける。その瞬間、碁盤に宿っていた平安の天才棋士・藤原佐為の霊がヒカルの意識の中に入り込んだ。佐為の囲碁に対する一途な想いが、徐々にヒカルを囲碁の世界へと導いていく…。
「ヒカルの碁」第1巻より引用
『ヒカルの碁』はほったゆみ原作、小畑健作画による囲碁をテーマにした少年漫画で、1999年から2003年まで『週刊少年ジャンプ』で連載されました。
作品は、平凡な少年が天才囲碁棋士の霊に憑依され、囲碁の世界に深く関わるようになり、「神の一手」を目指す過程を描いています。
この漫画はテレビアニメ、小説、コンピューターゲームなど、多岐にわたるメディア展開もされており、国内外で広く翻訳されています。
特に、囲碁に焦点を当てた少年漫画としては珍しく、その緻密な作画と練り込まれたストーリーで人気を博しました。また、囲碁ブームを引き起こし、若年層に囲碁を普及させる効果もありました。
「ヒカルの碁」最終回はどんな話?ネタバレ公開!
漫画『ヒカルの碁』の最終回は、ヒカルが永夏に敗れた後のエピソードです。
敗戦にもかかわらず笑顔を見せるヒカルに永夏が厳しい言葉を投げかけ、ヒカルは碁を打ち続ける理由を問われます。
それに対してヒカルは、「遠い過去と未来をつなぐため」と答え、涙を流します。
友人たちからの励ましを受けて、佐為の声を感じるヒカルは新たな決意を固めます。
最終話は、彼の成長と未来への橋渡しを描いて締めくくられています。
「ヒカルの碁」は打ち切りで最終回だった?
結論、「ヒカルの碁」は韓国との問題で打ち切りになったと言われていますが、真相は違います。
まず、韓国との問題についてですが、『ヒカルの碁』の終盤、北斗杯編では18歳以下の棋士が集まる国際大会が描かれ、日本、中国、韓国の若手棋士が参加しました。
その時、韓国の棋士高永夏の描写に関する問題が浮上し、彼のセリフが原因で韓国棋士のイメージが悪化したというエピソードがあります。
このシーンに関して、韓国側からの圧力があったという噂が流れましたが、これはデマであることが後に明らかになりました。
集英社への問い合わせにより、韓国の圧力が関係ないことが確認され、この噂は国内の反韓感情に基づく憶測とされています。
『ヒカルの碁』は韓国でも人気があり、圧力による打ち切りというのは現実的ではないとされています。
「ヒカルの碁」の最終回がひどいと言われる理由は?徹底解説
- 世間的批評が酷い!
- 主人公の進藤ヒカルが酷い!
- 塔矢アキラが酷い!
- 打ち切りみたいな最終回が酷い!
- 海外ドラマ化が酷い!
「ヒカルの碁」の最終回がひどいと言われている理由を調査した結果、理由は上記5つのようです。
それぞれ解説していきます。
①:世間的批評が酷い!
「ヒカルの碁」は当時の少年ジャンプの漫画の中で異色のジャンルを見事に使い分けた作品とも言われており、また低迷していた囲碁を若い世代に注目させたとする功績など、最も評価されている漫画の一つとされています。
しかしその分に批評もあり、その中で酷いとされているのが、藤原佐為と呼ばれている幽霊の存在でした。
平安時代に非業の死を遂げた天才棋士の佐為が碁盤に取り憑き、ヒカルがそれに触れたことで憑依し、彼に碁を勧める様になったと、このファンタジー的な展開を指摘する問題点が存在しています。
何故に幽霊が取り憑いて碁を進めるのかと、そんな漫画の様な演出は必要の無い事だと言う言葉もあります。
普通に碁に興味を持って、碁の世界に入っていく展開でも良いのでは無いのかと、露骨なファンタジー展開は、碁を愚弄しているとの意見は当時で真面目に議論されていた事でもありました。
漫画にそんな現実的な問題を出すなよと言いたくはなるも、それらの問題点を出す人は、それなりに碁を愛している人の意見なのだと、真摯に碁に打ち込む人に取っては、この漫画の演出は許しがたいモノだったのかもしれません。
しかし漫画的な演出があったからこそに、このヒカルの碁は面白さが評価されていき、人気のある漫画として支持され、また囲碁に興味を持って貰える機会を作った事も事実なのです。
漫画的演出を嫌う一部の人間から酷いと扱われてしまうファンタジーの設定に関しては、まだまだ相容れないモノがあるのかもしれません。
理由②:主人公の進藤ヒカルが酷い!
本作の主人公となるヒカルの存在が酷いと言う意見もありました。
このヒカルの存在があまりにも酷いと、彼の性格に関して問題を定義する意見もあり、もっと愛される主人公像を造るべきだったのではとする意見もありました。
確かにヒカルの性格はあまり良い子とは言えない、わんぱくな子どもと無鉄砲で行動力があるトラブルメーカーな存在感で物語を薦めていく事になる主人公となっていきます。
想った事をすぐに口に言葉にしてしまう軽率感や、また囲碁を始める切っ掛けが、蔵の中で金目のものを探していたなど、行動原理があまりにも不純すぎてしまい、優等生な人から見れば、あまり愛される様な主人公ではなかったとも言えるでしょう。
ただし成績優秀で非の打ち所のない人間にドラマ生は無く、碁に興味の無かったヒカルが成長していく事に面白さがあり、その部分を是非に注目してほしいのですが、若干に愛されにくいキャラだったことが彼を酷いと思わせたのかもしれません。
ヒカルは決して優等生ではなく、悪ガキとして見えてしまい、そんな彼が酷い性格の子だと思えてしまうのは、実に複雑なところです。
理由③:塔矢アキラが酷い!
この作品でライバル的なポジションに立つ事になるアキラは、ヒカルの最大のライバルとして彼の前に立ちはだかる事となります。
しかしアキラは優秀な父親の元で棋士としての英才教育を受け、それまで苦無く全てに勝利していました。
自分の前に敵はいないとする高慢なまでの態度と姿に、アキラは酷いとする意見も多々あり、彼にキャラクターを愛せないとする意見も当時では多くありました。
ただ誰よりも棋士としてプライドを高く持っていた彼は、読者からすれば高慢な人間と思えるも、棋士としての矜持を誰よりも持ち、囲碁に全てを賭けている真剣な生き方をした人間でもあるのです。
そんな彼が高慢に見えてしまうのも、勝負師として一歩も引くことの出来ない立場ゆえの性質と理解して貰えない部分が大きく影響しているのかもしれません。
決して根は悪い子ではないのですが、アキラの性格が好きになれないとする意見が見られるのは、そんな彼の気質ゆえの問題なのかもしれませんね。
理由④:打ち切りみたいな最終回が酷い!
ヒカルの碁を検索してみれば、その後の作品での内容があまりにも打ち切り展開で終わっているなどの意見もありました。
アキラとヒカルの勝負に決着が着くことはなく、そのまま不燃症気味で終わってしまった事に、この作品の評価が著しく下がってしまった事が原因なのかもしれません。
佐為が消えてしまい、ヒカルは彼の想いを持ち、棋士として大きく成長し、アキラと向き合える成長を見せたのですが、これからというところで訥々の終わりを迎えてしまったことは、長年においてヒカルの碁を追い掛けてきた読者を裏切るような終わり方だったとも批評されてしまい、まるで連載を諦めたような打ち切りの扱いだったとする意見もあります。
出来ればファンが納得出来る形での終わりを迎えれば、この打ち切り感満載な最終回はなかったかもしれませんね。
理由⑤:海外ドラマ化が酷い!
ヒカルの碁を挙げていく中で必ず目にするのが、海外ドラマ版のヒカルの碁となります。
海外で実写映像化されたヒカルの碁は、原作に対する侮辱との意見も多くあり、この実写化のせいでヒカルの碁の評価は大きく下がったとも言われてもいます。
人気漫画作品ゆえにメディアミックス化は避けられない事かもしれませんが、もっとメディアミックス化に関しての注意を払って、原作重視にした実写化を成功させていたら、酷いと言う評価は少なくなっていたのかもしれません。
海外でドラマ化され、イメージとは違うキャラにされてしまう主人公達や、物語の中で描かれたドラマ性なども損なわれてしまったとする辛辣なファンの意見など、実写化を酷いとする意見は決して無視の出来ないモノとも言えるでしょう。
「ヒカルの碁」の最終回がひどいと言われている理由まとめ
- 世間的批評が酷い!
- 主人公の進藤ヒカルが酷い!
- 塔矢アキラが酷い!
- 打ち切りみたいな最終回が酷い!
- 海外ドラマ化が酷い!