漫画「神さまの言うとおり」の最終回(結末)が打ち切りでひどい!?理由を解説

漫画「神さまの言うとおり」の最終回(結末)が打ち切りでひどい!?理由を解説

漫画「神さまの言うとおり」。映画化もされた人気作ですが、最終回がひどいと評判です。

どのようにひどいのか?気になる人も多いと思うので、本記事でひどいと言われる理由を徹底的に解説します。

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目次

漫画「神さまの言うとおり」の作品紹介

作品名神さまの言うとおり
作者金城宗幸(原作・原案など)
藤村緋二(作画)
巻数第一章(全5巻)
第二章(全23巻)
連載雑誌別冊少年マガジン
連載期間2011年3月号-2012年11月号

~あらすじ~

教室が戦場に!巨大な謎と圧倒的な恐怖――!高畑瞬(たかはた・しゅん)16歳、男性。幼い頃から物静かでマイペースな彼は、自らの人生を退屈だと感じるようになっていた。――だが、しかし、唐突に訪れた日常との決別。それは神罰か、神からの贈り物か!?「生きる」ために、今までの俺を「殺せ」!“だるま”が、“ネコ”が、退屈だった日々をブチ壊す!傑作カタストロフィ・サスペンス!!!

「神様の言うとおり」第1巻より引用

『神さまの言うとおり』は金城宗幸原作、藤村緋二作画による作品。

『別冊少年マガジン』に2011年から2012年まで第壱部が、『週刊少年マガジン』に2013年から2017年まで第弐部が連載されました。さらに、前日譚『神さまの言うとおり零』が短期連載されています。

このシリーズはサバイバル・シチュエーション・ホラーとして、一般人が突如不条理な殺人ゲームに巻き込まれるストーリーで、単純なルールと非情な生死の分岐が特徴。

ゲームは知られた遊びや事物を基にしており、首謀者の正体や全体の状況が明かされないまま進行する点が特異である。

漫画「神さまの言うとおり」の最終回(結末)が打ち切りでひどいと言われる理由

  • 悪夢のループで終わりが見えない
  • 謎が解けないまま終わってしまった
  • 男同士の絆が受け入れ難かった
  • 神になっても死んだ人を生き返らせない
  • 人の命を軽く見ていることが不快

神さまの言うとおりがひどいと言われる理由は上記の5つです。

それぞれ解説していきます。

理由①:悪夢のループで終わりが見えない

理由①:悪夢のループで終わりが見えない

神さまの言うとおりは第一章と第二章に分かれており、第一章は未完のまま終了となっています。その為、神さまの言うとおり弐(第二章)の結末に対しての評価が主にたくさん上がっていました。

神さまの言うとおり弐(第二章)の終わり方は誰もが、作中のゲーム内で死んでしまった登場人物全員が生き返り、平和な日常を取り戻す…と予想していました。

しかし、最終回ではまさかの悪夢のループエンドとなってしまったのです。

と言うのも、理不尽なデスゲームがついに終わったと思った矢先、最後の神となった丑三清志郎が「俺よりも神に相応しい奴がいる(明石靖人)」と、時間を第一話の時点まで巻き戻してしまったのです。

まさかの主人公である明石靖人がデスゲームを勝ち抜いて自分(丑三清志郎)の元までやってくるのを待つ…といった結末…。

人が簡単に死んでいく恐ろしいゲームが再び始まる終わり方には、「え、また?」「釈然としない」など否定的な声が多く上がっていました。

平和な日常を取り戻すことを予想していた人たちにとっては最悪な結末となっており、ひどいという声へと繋がってしまったようです。

理由②:謎が解けないまま終わってしまった

理由②:謎が解けないまま終わってしまった

神さまの言うとおり弐(第二章)の最終回では、謎が解けないまま完結してしまったことに不満やモヤモヤを感じる人が多くいたようです。

具体的に、一巻の最初のページに名前だけが登場していた“アシッド・マナ”の正体や、神の力は何故あんな事が出来るのか…などが挙げられます。

読者が気になっていた肝心なことが一つも明かされなかった…と、スッキリしない終わり方に「ひどい」と言った声が殺到しました。

なお、神様の言うとおり弐(第二章)の終了後には前日譚として「神さまの言うとおり零」全4話がマガポケで連載されました。

そこで、試練の謎やアシッド・マナ誕生の秘密が描かれており、後に「スッキリした」と言う声も多く上がるようになっていました。とはいえ、本編で謎や伏線を回収するべきなのでは…と言う声も多数ありました。

理由③:男同士の絆が受け入れ難かった

理由③:男同士の絆が受け入れ難かった

最終回では、最後の神となった丑三清志郎が、地球の時間を戻して再び明石靖人にデスゲームを経験させ、自分のことを迎えに来てもらうと決めたシーンがありました。

人が簡単に次々と死んでいくゲームを再びスタートさせてまでも、男友達に会いたいと言う姿に「男同士の歪んだ絆を前面に押し出しすぎ」「ホモくさい展開も嫌いでした」と言った否定的な声が多く上がりました。

また、主に第一章で活躍していた高畑瞬と天谷武に関しては「天谷はそんなに瞬のこと好きだったっけ?」と疑問に思う人も多数。

さらに、第二章で活躍していた丑三清志郎の明石靖人への執着具合がすごい点など引っかかる部分も多く感じた人はいたようです。

男同士の絆や関係性を前面に出し、それを最後まで突っ走っていく終わり方には不満を感じる人は少なくはなかったようです。

理由④:神になっても死んだ人を生き返らせない

理由④:神になっても死んだ人を生き返らせない

それぞれの登場人物たちは、ゲームに勝ち続け神になった際には、今まで死んでいってしまった人たちを生き返らせることができると信じていました。

しかし、いざ神になった明石靖人が夏川めぐ(ナツメグ)を生き返させてみるも、生き返ったと思ったナツメグの様子が少し違うことに気づきます。

神の力は“想像力を具現化する力”である為、ナツメグ本人が生き返るわけではなく、“明石がイメージしたナツメグ”が人間の形となって蘇っただけなのです。

本人の記憶を持った人間を生き返らせることができないと悟った明石たちは、何のために戦うのかを見失う結果となってしまいました。

読者も、過去に死んでしまったキャラクターたちがありのままの姿で生き返ると思っていただけあって、「裏切られた」「生き返らせることが出来るなんて真っ赤な嘘!」など、がっかりした人も多かったようです。

理由⑤:人の命を軽く見ていることが不快

理由⑤:人の命を軽く見ていることが不快

作中では、“だるま”、“まねきねこ”、“こけし”、“しょんべんこぞう”、などいくつものサバイバルゲームが描かれます。

神になることを目指しそれぞれのキャラクターが戦うものの、一度にたくさんのキャラクターが死亡し、次々と簡単に死んでいく描写に、「命の大切さが全くない」「グロい」「命を軽く見すぎている」など批判的な声が殺到しました。

死んでしまう描写は最終回だけではなくゲームが開催されるたびに描かれますが、最終巻を読み終わった後には全体を振り返り「不愉快だった」と言う意見が多く残ってしまったようです。

最終回だけでなく、全編通しての印象が「ひどい」と言う意見へと繋がってしまっているようでした。

まとめ

本記事では、「神さまの言うとおり」の最終回がひどいと言われる理由を解説しました。

最後にまとめです。

ひどいと言われる理由

  • 悪夢のループで終わりが見えない
  • 謎が解けないまま終わってしまった
  • 男同士の絆が受け入れ難かった
  • 神になっても死んだ人を生き返らせない
  • 人の命を軽く見ていることが不快
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