「うどんの国の金色毛鞠」が完結したのですが、ひどいと言われている理由をご存じですか?
知らない人のために、本記事ではリアルな評価をまとめます。「うどんの国の金色毛鞠」の何がひどいのか。気になる人は必見です。
漫画「うどんの国の金色毛鞠」の作品情報
作品名 | うどんの国の金色毛鞠 |
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作者 | 篠丸のどか |
巻数 | 全12巻 |
連載雑誌 | 月刊コミック@バンチ くらげバンチ |
連載期間 | コミック@バンチ: 2012年8月号 – 2018年5月号 くらげバンチ: 2018年4月6日 – 2019年2月15日 |
~作品紹介~
俵宗太は、東京在住のウェブデザイナー。故郷に帰った彼が実家のうどん屋で見つけたのは、釜の中で眠りこける不思議な子どもだった。実はその子には他の人には言えない秘密があって!?ゆったりと時間が流れる“うどんの国”を舞台に、ちょっと不器用なふたりのあたたかい共同生活が始まる。堂々第1巻!
「うどんの国の金色毛鞠」第1巻より引用
『うどんの国の金色毛鞠』は「篠丸のどか」による作品で、2012年から2019年にかけて新潮社の『月刊コミック@バンチ』と『くらげバンチ』で連載されました。
香川県を舞台にしたハートフルファンタジーで、地元香川の文化と観光を積極的に取り入れています。
作品は香川県内のイベントや広報活動にも影響を与え、2013年のキャラフェスポスターや2016年のさぬき高松まつりのメインポスターに起用。
さらには高松琴平電気鉄道(ことでん)とのコラボレーションで「ポコでん」と呼ばれるラッピング電車が運行されました。
また、本作のキャラクター「ポコ」は香川県の「うどん県広報部長」に任命されるなど、地域との結びつきが強い作品です。
漫画「うどんの国の金色毛鞠」が打ち切り!?最終回(結末)がひどいと言われる理由
- 内容が「ばらかもん」と酷似している?
- アニメの評価がそのまま原作に移行してしまった?
- 「うどんの国の金色蹴鞠」なのにうどんが登場していない?
- ポコの存在が何故に受け入れられているのか?
- アニメの酷評によって下げられてしまった評価が酷い!
「うどんの国の金色毛鞠」がひどいと言われる理由をまとめました。
それぞれ解説していきます。
理由①:内容が「ばらかもん」と酷似している?
うどんの国の金色蹴鞠はばからもんに似ているとの意見があり、その理由を調べてみました。
まず「ばからもん」は書道家の主人公である半田清舟が、五島で暮らす事となり、そこで子供たちと触れ合っていく物語として描かれていきます。
そして「うどんの国の金色毛鞠」の主人公の俵宗太は実家にて、狸の子どものポコという少年と出会い、ささくれている心を癒していくハートフルな作品として描かれていきます。
この二つの作品には子どもと関わる部分が似ているとありますが、内容に関しては全く違う設定で描かれているなど、酷似している印象はないのですが、一部の方からはそう評価を受けてしまっている事がひどいとされてしまった原因なのではと思われます。
子どもと触れ合うハートフルな作風が似ているとしている為に、一部のファンからはいわゆるパクリなのではとの意見も出てしまい、その意見が一人歩きし、ひどいと言われているかもしれませんね。
理由②:アニメの評価がそのまま原作に移行してしまった?
「うどんの国の金色蹴鞠」がひどいと言う意見の中には、アニメの作品が酷かったとする意見も散見されています。
これはアニメの作画に力が入っていないとする、アニメから入ったファンの意見が多くあり、制作会社である「ライデンフィルム」が今まで携わった作品から見て、「うどんの国の金色蹴鞠」は作画が手抜きだとする意見が多かったのです。
しかし「ライデンフィルム」がそれまでに手がけてきた作品の多くは「寄宿学校のジュリエット」「はねバド!」などの作画に躍動感のあるモノが多く、それと比較すれば、今回の作品は躍動感の少ないハートフル作品だった為に、イメージに合わないとする意見も多かったのかも知れません。
その為にアニメに力が入っていないとされ、それが影響して原作にも移ってしまったと考えられます。
理由③:「うどんの国の金色蹴鞠」なのにうどんが登場していない?
この作品は「うどんの国の金色蹴鞠」と銘々されているように、うどんをメインに扱った作品なのかと思われるかも知れませんが、グルメ系の漫画ではなく、あくまでもポコと宗太とのハートフルな日常をテーマにした作品なのです。
うどんの国と命名しているのに、うどんが出てこないと怒る読者が憤慨し、それがネットで流言飛語をしてしまい、結果としてこの作品が酷いとする意見も出てきたのが原因なのかもしれません。
確かにうどんがタイトルにある事で、グルメ漫画と考えてしまう方もいるかも知れませんが、そこはもう少しだけ心を広く持つ事が大事なのではと思います。
うどんを通して知り合った二人の物語なのだからと、許容を持ってほしいですね。
理由④:ポコの存在が何故に受け入れられているのか?
この作品ではポコは狸の子どもとなっており、ポコは変身して人間の子どもに化けている事になっていますが、この部分に寛容ではない人が大勢いるようです。
何故狸が変身してそれを受け入れているのかと、主人公の宗太に関しての設定があやふやだとする意見も多くあるのですが、コレに関しては、やはりファンタジーの内容なのだから受け入れて貰える部分ではないのかと思います。
ファンタジー作品なのだから、そこは寛容的に受け止めて貰えないと、作品としての成り立ちが難しくなってしまうので、リアルのツッコミを入れて作風を否定するのは、絶対にしてはいけない評価だと言えます。
ポコが人間社会に受け入れられているというファンタジーに関してのツッコミが、この作品の出来映えが酷いとする意見になってしまったと考えれば、どうにもやるせない部分がありますね。
理由⑤:アニメの酷評によって下げられてしまった評価が酷い!
この「うどんの国の金色蹴鞠」が酷いとされてしまう理由の多くは、アニメ作品の酷評に大きく影響を受けているとされています。
本来ならばそれなりに面白い作品であった筈が、アニメの出来映えによって評価を一ズルシク下げてしまう事になったと結論づけられてもいますが、アニメの出来映えに関しては特に問題は無く、一部の酷評が大きく一人歩きしてしまった事が大きな酷評の原因なのではと思います。
またアニメの最終回に関してはポコの生死が不明となっており、この部分でも原作との乖離が大きくなってしまい、物語の評価を二分してしまう原因にもなったと考えられています。
アニメによってその評価を大きく変えてしまった「うどんの国の金色蹴鞠」は、心のない一部の人間による酷評によってひどいとされてしまった作品といるでしょう。
しかし原作などアニメを見ればそれなりの面白さのある作品なのです。
楽しむ気持ち観る事をすれば、この作品を面白く感じられる良作とも言えるでしょう!
漫画「うどんの国の金色毛鞠」がひどいと言われている理由まとめ
- 内容が「ばらかもん」と酷似している?
- アニメの評価がそのまま原作に移行してしまった?
- 「うどんの国の金色蹴鞠」なのにうどんが登場していない?
- ポコの存在が何故に受け入れられているのか?
- アニメの酷評によって下げられてしまった評価が酷い!